カルデアの善き人々

その日、生き残ったメンバーが最初にした事は、仲間の遺体の確認だった。救助と感染症防止のためだ。
遺体が全て確かめられるまで、腐敗防止用に主要部分以外は全て暖房が落とされて、廊下を歩くときは皆コートを着ていないと凍える寒さだ。そのなかで、がれきの中の遺体を捜索した。遺体をあらためては、彼はどこの所属の誰であったか、彼女はあの科にいる誰それだったとか、リストや、顔見知りが直接、といった具合に、カルデア内の行方不明者だった彼らは徐々に死亡者数にカウントされていった。ついぞ見つからなかった職員も数名いる。爆心地近くで体が跡形もなく散ってしまった者、瓦礫の下にいるであろうもの。カルデアから離反した者―――。
その間にもレイシフトしたマスターの対応、生き残った機材の確認、カルデアの損傷の確認、そもそも隔絶されたこの場所には果たして空気があるのか?水の問題は?問題は山積みで、事故が起こって数日は、彼らは殆ど不眠不休で事故の対応におわれていた。

いくつかの確認がとれ、現在のデータが集まってくる。幸いなことに、燃え上がるカルデアの外にも空気は存在しているらしい。地下の倉庫は倉庫も扉も殆ど損傷がなく、食堂も無傷だった。電気は自家発電ができたし、水も食料も補給が終わったばかりで当座の備蓄は十分だった。皮肉なことに、人数が減った事で、使える量にゆとりさえできたのだった。彼らは冷たい携帯食ではなく、暖かい食事を数日ぶりに取ることが出来た。風呂に入ることはできなかったが、三日に一回、一人5分のシャワーが使うことが許された。久々に暖かい食事を食べて、さっぱりとした彼らは、すとん、と眠りに落ちる。事故から一人で眠ることが怖かったので、管制室の近くの大部屋――もともとは会議室だったものだ――で皆で寄り添って眠った。8時間以上たっぷりと睡眠を取った彼らの目には、人らしい輝きが戻る。

業務にあたろうとして、そこで初めて泣き出した職員もいた。あまりのショックで今までずっと泣けずにいたのが、久々の温かい食事やぐっすりと眠れたことで、緊張の糸が徐々にほどけたのだろう。事故からずっとぼんやりとした顔をグシャグシャにして、あとからあとから涙をこぼす。非番(この時ようやく業務を交代制にできていた)の職員に付き添われてしばらく、戻ってきた時、ぼんやりとした表情は消えていた。

マスターとして立香が冬木から帰ると、召喚システムが稼働することを確認できた。そこから、何体かのサーヴァントが呼び出され、彼らは戦うより先に、カルデアのがれきの撤去や遺体の捜索を手伝った。
人の手で数人かかっても動かせないようながれきやコンクリート片も、彼らは一体でやすやすと動かすことができた。がれきの下から遺体が見つかると、殆ど原型をとどめていない。かろうじて所属の制服と、首から下げたIDだけが、彼らの情報をあらわしていた。
カルデア内部はIDカードが身分証や財布、鍵を兼ねていたのでIDを下げていないものは稀だ。けれど、ごくわずかにIDを持っていないものもいた。それは、爆発時の影響で外れてしまったのか、もともと持っていないのかはわからなかったが、その時は元の部屋がなんだったのか割り出して、その部屋にいたと思わしき人物の特徴と重ねて推定した。DNA検査はできるが、その検査をするほどの余裕をこの時期のカルデアはまだ保有していなかった。腐敗がこれ以上進まないように、身元がわからない遺体は、遺髪を少量残して、すべて焼かれた。

キャスターのクーフーリンは、最初にカルデアに呼ばれた時にした仕事は、遺体を荼毘にふすことだった。高温で焼かれた遺体は、骨だけが残ったように見えるが、ふれると粉々になる。それを一箇所に集めて、合葬した。灰を収めた壺の前に、亡くなった職員をリスト化したものを印刷した紙をその前に置いて、誰が葬られているかわかるようになっている。その時ばかりはロマニとダ・ヴィンチを外した全員で彼らの見送りをした。カルデアには花が無かったので、紙や布で花を作ったり、魔術で形作ったものが添えられた。モーツァルトが手持ちの楽器で演奏をはじめると、物悲しい旋律が部屋に響き渡る。何人かの職員が嗚咽を漏らした。
亡くなった職員は、彼らの友人であり、同僚であり、上司であり、部下であり、恋人だった。名も知らなかったが、会話をよく会話を交わした者もいたし、団欒室で一度だけ話したこともあった。交代の時に引き継ぎの書類とともに一言だけねぎらいのメッセージがポストイットで貼られていたし、食堂で向かいの席に座っていた。休みが重なればデートをした。魔術師の職員と一般の職員たちは価値感が合わずに衝突したこともあった。けれどそれもう、二度と出来ないのだ。
短いが、彼らの葬儀を終えると、ほんのわずかな酒で献杯をして、仕事に戻っていく。シフトに入っていない者たちも、自主的にカルデア内の補修をするために離れていった。真夜中になって、ようやく仕事から一時離れられたロマニが立ち寄った。彼はしばらくそこに立って、亡くなった職員が記載された紙を眺めた。長いあいだ眺めていたが、休憩時間の終わりのアラームがなって、管制室に戻った。

葬儀の翌日、立香は第一特異点にレイシフトをした。冬木と違い、長期間のレイシフトは、職員たちの神経を削らせて、疲労させていく。その分収穫も多かったが、多すぎるデータもまた、職員の疲労を増やした。
一番ゆらぎの少ないと言われていたオルレアンは、三日三晩と驚くようなはやさで修復が終了した。そのあいだロマンは一睡もせずにいた。立香達がフランスから帰還して、何の異常もないとわかると、ようやく安心して仮眠を取った。3時間後に起こして欲しいというおねがいは誰にも聞き届けられず、彼は15時間こんこんと眠り続けた。起きた時にぶうぶう拗ねるロマニに、自業自得ですよ、と怒る。しゅん、と気落ちするロマニを見る職員たちは、それでも笑顔だった。

特異点を修復し、それからしばらくは次の特異点へ向かうための準備に入る。それは英霊達の強化であったり、シミュレーションであったり、マスターの体調を万全にするためのものだったり、補給する物資をまとめるための時間だ。立香達は午前はさんざ体を調べられると、午後は英霊たちのシミュレーションに参加した。英霊たちはシミュレーションのほかは、思い思いの場所で過ごすこともあったが、カルデアの窮状を見かねて、手を貸してくれる者も多かった。
立香の召喚した英霊は徐々に数を増やし、カルデアを支えるためのメンバーとして頼られていた。引き続き行われている職員の捜索、がれきの撤去、建物全体の補修。職員が行う簡単なルーチンワークを任せる時もあった。また、キャスターの英霊は魔術を行使してみるみると修繕が進んでいく。料理が上手い英霊には腕を生かして食堂を頼むこともあった。
英霊たちに少しずつ仕事を肩代わりしてもらい、技術や知識により効率化が進むと、少しずつ職員たちの負担は減っていった。食べることと寝ること、仕事をすること以外に時間が使えるようになると、徐々に彼らの顔に明るさが増えていく。
ある者は解放されていたが使うことのなかった図書室へ行って、ゆっくりと本を読んだり、またある者はトレーニングルームで体を思う存分うごかした。あるいは備え付けのプロジェクターで映画を観る、食堂で、仲の良いもの同士で集まって、ゆっくりとおしゃべりをしながら美味しいものを食べる―――どれも今までできなかったことだった。廃材を使って新しい家具をこしらえる者もいた。
事故からずっと閉鎖されていた植物プラントを再開しはじめたのもこの時期だ。魔術と近代の技術を融合して、短期間で新鮮な野菜を育てる事ができるプラントは、当初はレタスなどの葉物野菜が中心だったが、第二特異点からミツバチを巣ごと採取し、受粉を手伝わせるように整えると、新鮮なトマトやキュウリ、ズッキーニやナス、カボチャ、イチゴなどの作物も供給可能になった。また、魔術で成長を育成するために、驚く程の短期間で、安定した収量が期待できる。花も植えられた。
爆発で、今に潰えそうだったカルデア。けれどこのように少しずつ、英霊と人とが力を合わせて、立ち直って来ていた。

そうして徐々に平穏を取り戻していたカルデアだが、第二特異点を修復し終えた頃に、一人の女性職員に異変が起こる。謎の体調不良で倒れたのだ。慌ててロマニが検査をしたところ、驚くべき結果がでる。彼女は子供を授かっていた。詳しく話を聞くと、とある職員と恋仲であり、将来の約束をしていたという。彼は事故で亡くなってしまい、彼女自身もまさか妊娠していたとは思わなかったそうだ。仕事が重なると月経が来なくなることもままあり、数ヶ月止まっていたこともこの異変の中の激務のせい、つわりの症状もストレスや疲労によるものだと思い込んでいたようだった。
この結果を知って、彼女は子供を産むかどうかを酷く悩んだ。愛した人が残した子供だ。本音で言えば産みたかった。しかし、不眠不休の激務から、多少ゆとりは出来たとはいえ、まだ予断は許さない状況だ。そう考えると、つわりや、産後の世話で、ほかの職員たちに迷惑がかかりやしないだろうか?その中で子供を産み育てることができるのだろうか。そもそも子供を産んだところで、私たちは2017年を迎えられるのか…?今まで蓋をしていた良くない思い達がぱかりと飛び出てきて、彼女の心を乱した。
青くなった彼女をみて、ゆっくり考えるといい、今日は一日休みなさいといってロマニは医務室を後にする。ふらふらと女性職員は自室に戻る。そこには非番の職員がいて、心配そうに体の様子を尋ねる。顔色を悪くした彼女を見て、なにか重篤な病なのか、とさらに聞いた。
「違うの。私、妊娠しているの」
「妊娠?」
「ええ、事故で死んだ中に、私の恋人もいたの。その人との子供」
「子供ができたなんて!おめでたいことじゃない!マリア!」
「通常ならね…今は非常事態よ。その中で子供を産むなんて…」
「待って、何を言っているの」
「だって!私だって産みたい。彼の忘れ形見なんて産みたいに決まっている。それでも、この状況で、子供!?どれだけの迷惑がみんなにかかるか…」
「そんな!」
「それに…それに…ねぇ、私たちは…」
「……」
「せっかく生まれても、苦しい思いをして死んでしまうかもしれない。そんなの辛すぎて、死んでも死にきれない。それだったらいっそ今のうちに…」
「…それは違う」
「だって…」
「確かに私たちは明日死ぬかもしれない。でも、生まれなかったほうがいい命なんて、一つもないと、思う」
「……」
「……わかんない。わからないよ…」
「みんなに相談してみよう。私たち、いつもそうしてきたじゃない」
「…うん」
その日、マリアは、ブーディカの部屋を訪れる。二人は長いあいだ話し続けた。夜が明けて、ブーディカの部屋を離れたマリアは、ロマニに子供を産むことを告げる。
「…そうか!よく決断してくれたね」
「はい。これから、大変になると思いますが、よろしくおねがいします」
ひどい顔だった。目はパンパンに腫れて、鼻をかみすぎたのだろか、まわりが赤くなっている。けれど、表情は明るく晴れやかだった。
「うん。うん…!」
ロマニが頷く。目が潤む。
「ドクター?」
「あれ?おかしいな…」
「大丈夫ですか?」
「うん。そうだ、お祝いに、とっときの和菓子をあげよう。冬木の名店のもの…で…」
ぼたぼたと、涙が流れる。
「なんであなたが泣いてるんですか」
「はは…なんでだろうね…」
「もう…」
向かいでは、マリアも泣いていた。
「キミだって、泣いてるじゃないか」
「あ…」
「ふふふ…」
「は、あはは…」
互いに泣きながら笑い合う。ひとしきり笑ったあとで、マリアがポツリといった。
「ねぇ、ドクター。私、絶対産みます。子供、産みますから…。ちゃっちゃと世界、救っちゃいましょう」
「…うん。そうだね!」
二人はロマニの秘蔵の和菓子と、ほうじ茶を飲んだあとに、管制室に向かう。
そうしてマリアの妊娠は、カルデアに知れ渡った。彼女の心配はよそに、皆は好意的に事実を受け入れた。食堂お祝いだから、とマリアにつわりでも食べられるようなご馳走と特大のケーキをこしらえる。この日は宴会になった。だれもが笑って、歌って、マリアを言祝いだ。グランドオーダーが発令されてから、一番賑やかな夜になった。

さて、そこからが大変だった。マリアは定期的にロマニの検査をうけつつ、仕事をこなしている。カルデアにいる人数は限られているので、じっと休んでいるというのは無理な相談だった。彼女も仕事を取り上げられたくなかった。皆が文字通り一丸となってカルデアを運営している。
そのうちマリアの腹はおおきくなって、臨月になった。大きいお腹を抱えながら歩く姿を見て、誰もが手を貸したがった。アステリオスは、マリアが移動中に出会うと、必ず肩に乗せて籠替わりになった。右肩にエウリュアレ、左肩にマリアを乗せて移動する姿を多くの職員が見ては、微笑ましい気持ちに顔が緩むことも多かった。
予定日の一週間ほど前から、医務室で安静にとベッドに寝かされていた。一人でいるのも辛いだろうと、かわるがわる英霊や職員がやってきて、ちょっとした贈り物をもって様子を見に来る。色とりどりの花、木で出来たおもちゃ、まじないを込めて刺繍されたハンカチ…。彼女の眠るベッドの周りには、これ以上置くところがない位、モノがあふれる。その中でも顕著だったのがメディアとバーサーカーのヴラド三世だ。彼らは赤ん坊用の靴や肌着、おむつなどとにかく大量の衣料品を作って持ってきた。カルデアには幼児用の服がないだろう、ということだった。どれもこだわって作られて、美しく着心地の良さそうなものばかりだ。メディアは赤子用の服と一緒にマリアの服も作っていた。お揃いコーデよ!と若干興奮気味に渡された服は、必ず写真を撮って私に見せなさい、という言葉とともに渡された。また、メディアとヴラド三世が共同でマタニティ服を作ることもあった。着心地が良い、鮮やかな刺繍が施された服をマリアはとても気に入って、頻繁に袖を通した。

お産は難産だった。初産なうえに、婦人科の知識を持っているものが少なく、また、いても殆ど経験がない。マリアが妊娠間近でも、レイシフトは実行されていたし、そうするとロマニは殆どそちらにかかりきりになってしまう。何体かの英霊と、医療知識のあるスタッフが付いて、出産は進められる。
破水は、予定日の三日前に起こった。そこからが大変だった。陣痛がきても、なかなか子宮口が開かない。結局出産が終わったのは、陣痛が始まってから、22時間後だった。子供は、男の子だった。赤ちゃんは、生まれるやいなやおぎゃあ!と大きく泣いて、皆が笑顔になる。マリアは出産後、緊張の糸が切れたのか、気絶するように眠り込んでまわりを慌てさせた。すうすうと聞こえる寝息に、周りのものはホッと息をはいた。全員が初めての出産に神経をピリピリさせていたが、赤ちゃんにも特に異常はない。マリアが寝ているあいだに赤ちゃんを預かったスタッフは、だらしない顔つきでにこにこと見つめていた。
赤ちゃんが生まれたことはレイシフト先の立花やマシュにも連絡された。アメリカは夕方で、ちょうど一番疲れがたまっているだろう時だったが、二人の喜びようは大きかった。奇声を発して、手を取り合って、我が事のように喜ぶ姿は、観測中のロマニを苦笑させた。けれど管制室も同じような状況だった。
特異点を修復後、ぼろぼろになって帰ってきた二人は、必要な検査を全て済ませると、まず最初に赤ちゃんがいる医務室にやってきた。産後は一日に来客する数は限られていたが、それは帰ってきたマスターたちに譲られた。二人は初着をきてすやすやと眠る赤ちゃんを前に顔をきらきらさせて微笑み合う。
「小さいですね…」
「そりゃあ、赤ちゃんだからね」
マリアが笑う。
「手も足も小さいのに動いてる…すごい…」
立香がつい、と指で手のひらをなぞる。
「あっ…」
赤子が立香の指を掴んだ。思いのほか力強くて、指が離せない。乱暴にはらうつもりもないので、なされるがままである。
「意外と掴む力が強いでしょ」
「はい、それにすごくあったかくて…わぁ…」
「気に入られちゃったね、この子すごく頑固だから、しばらくそのままだよ」
「ええ…えへへ」
かわいらしいあかちゃんの洗礼に立香の顔はもうでろでろだ。
その横でマシュが羨ましそうに赤ちゃんと立香を見ていた。
「マシュちゃんもほら、」
マリアに促されて、マシュも赤ちゃんをおそるおそる触った。頬をつつくと、ぷにぷにとした食感がびっくりするほどやわらかくて、壊してしまいそうで指を離す。
「すっ、すごく…柔らかいです!」
「生まれたばっかりだもん」
「うひゃ…!わぁ…」
ふたたび指でつついて、やわらかさを堪能する。こんなに柔らかくて、小さいものが生きているのだ。
「すごい…」
「すごいねぇ…」
と、赤ちゃんが起きたのか、ふわぁ、ふわああとか細い声で泣き出した。
「あらら、ごめんね。赤ちゃんが起きちゃったみたい」
「いえ。長々とすみません。それじゃ失礼しますね」
「あ、ありがとうございました」
二人でお辞儀をして部屋を去る。マリアはにこやかに二人を見送った。

赤ちゃんが生まれてから、マリアはとても忙しい。赤ちゃんは泣くのが仕事だ。朝も夜もなく泣いて、お乳が欲しいとせがむ。カルデアには粉ミルクなんて便利なものはないので、当然マリアのがおっぱいを上げなくてはいけない。生まれたばかりなので、少量しか飲めないし、飲み方も下手なのだ。幸いなことに、アメリカから立香が戻ると、ナイチンゲールが一緒にカルデアにやってきた。彼女が医務室に常駐するようになって、医療スタッフを減らすことができた。医務室のスタッフは、代わりにマリアの仕事を引き継いだ。
マリアもできる限りのことをしようと頑張ってはいたが、いかんせん赤ちゃんは手ごわかった。癇の強い子なのかもしれない。寝ているあいだは良いのだが、あまりに泣き続けるので、マリアはすっかり憔悴してしまって、ボロボロになってしまう。見かねたキャスター達…メディアやクーフーリンのキャスター、ジェロニモが、面倒を見ることもあった。英霊たちも、好かれる者と、近づくだけで火が付いたように泣き出してしまう者がいて、彼らは前者に入っていた。エミヤが投影魔術で哺乳瓶をつくってくれたので、マリアにおちちをいれてもらうと、彼女をすっかり寝かせてしまう。魔術を使って気配を分かりづらくしてしまうと、赤ちゃんは抱かれているのはマリアだとうまい具合に勘違いしてくれた。そのままベッドから離れて、少し場所――ときに彼らの工房――でおちちをあげたり、あやしたりした。そして翌日、マリアがぐっすりと眠って起きると、赤ちゃんを返しに戻る。首がすわってからはそのまま一日預けることもあった。

赤ちゃんはすくすくと大きくなっていく。人間も英霊も、ごくごく一部を除いて赤ちゃんが成長するのを楽しみにしていた。とてもよく泣く子だったけれど、その分笑った顔がとんでもなくかわいかった。皆、赤ちゃんの笑った顔を見ると、とたんに顔がとろけてしまうほどだった。
どんどん大きく重たくなっていくものだから、メディアもヴラド三世も、大急ぎで服を作った。約束通り赤ちゃんとペアルックになったマリアは、ゲオルギウスに写真をたくさん撮ってもらった。ゲオルギウスも、メディアもとてもいい顔をしていた。ゲオルギウスは特に、良い被写体がみつかったと、どんどん写真を撮った。赤ちゃんは、写真の中で、泣いたり、笑ったり、寝ていたりしている。
あたらしいことができるたびに、記念ですね、と写真を撮った。ゲップをした、寝返りをうった、座れるようになった―――。日々できることは増えていった。
そうして、ようやく赤ちゃんが母乳以外のものが食べられるようになるころ、七つの特異点の修復が終わった。

最後の特異点に挑む時は、何が起こるかわからない。職員全員で管制室に詰めることになった。けれど、マリア親子は、ダ・ヴィンチの工房で待機を命じられた。マリアは納得がいかない、というようにロマニを問い詰めた。しかし、これは総意だと、諭される。赤子がいては業務に支障があるから?今のマリアでは仕事に向いていない?理由がマリアの頭を巡った。
「…これは僕らのエゴといっていい。端的に言うとね、もし、作戦が失敗したときにさ。一番最後まで生きていて欲しいんだ。だから、君たちには一番安全な場所で待機していて欲しい。お願いだ。」
マリアの手を取って、握り締める。力がこもって痛かった。ロマニは泣きそうな顔をしていた。
「僕はとても残酷なことをお願いしているね…」
「……」
最後にマリアは折れて、工房で待機することを了承した。待機には、何体かの英霊がつきそった。管制室と通信でつながるようにして、そこで祈るように行く末を見つめた。カルデアが激しく攻撃を受けている中、皆が奮闘している中、自分だけは見ていることしかできない。歯がゆかった。つらくて、くやしくて、自分の無力感に涙が出そうだった。
そんな中、あかちゃんはお構いなしに泣いた。マリアははっとして、様子を見る。赤ちゃんは火が付いたように大泣きして、泣き止まない。その世話をしながらマリアも涙ぐんだ。そばにいたエレナがマリアをハグする。
「…悔しいわよね。けど、あなたも今、使命を果たしているのよ」
よしよしと、まるで子供をあやすような声だ。マリアの手からするりと赤ん坊を抱き上げる。
「ふふ、この揺れと轟音の中では泣かない方がおかしいわね。」
赤ちゃんは泣き止まない。
「なかなか元気に仕事しているじゃない?」
魔神柱の攻撃に怯えているのね。それなら、眠っていたほうが良いのかしら?囁くように言うと、エレナが魔術で赤ちゃんを寝かせて、マリアに戻した。

・・・

振動と音は相変わらず続いている。音はだんだんと大きくなり、管制室の声もせわしない。特異点では、マシュと立香や英霊たちが魔神柱と戦っている。戦って、それから、それから…
彼らが特異点から戻ってきたとき、管制室からは、雄叫びが響いた。

それからしばらくして、待機命令が解除される。管制室に行こうとしたところで、立香達が部屋にきた。
「やっほーマリアさん。世界救ってきちゃったよ」
「きちゃいました!」
軽い調子で言う立香とマシュを問答無用で抱きしめる。
「あ?!え?!」
戸惑う二人にさらに腕を強くした。
「…あのね、世界、救ってくれてありがとう。この子が生きていく世界を救ってくれて…ありがとう」
震えて、か細い声だった。
「……赤ちゃんおっきくなって、これからしゃべったり、歩いたり、するんだよね…2017年来たからさ…2018年だってきて…小学校に入ったり、するんだね…それって、すごく、すごく楽しみだね…」
「うん…うん…」

カルデアはこの日、人理修復を完了し、グランドオーダーを達成した。達成までの期間は約一年半。死者200余人、凍結されたマスター候補47人、残されたスタッフは20人にも満たない。その中で人々は一丸となって修復に挑んだ。そうして、2017年がやってきた。

今日からまた、新しい一日が始まる。

おわり。