お皿が割れたはなし

とある日、皿を洗っていたナギリは、手を滑らせてしまいお皿を割ってしまいました。
それは神在月のお皿で、白い、何の変哲もないどこにでも売っているような物です。ですがそれを、彼はずっと長く使っていたのです。
ナギリの頭の中に忘れていた記憶がよみがえりました。

それはまだ彼が小さかった頃のことです。家の中はだれも家事をする者がいなかったので、家庭科で習ったことを思い出しながら小さいナギリは台所でお皿を洗っていました。そしてある日、小さいナギリは不注意でお皿を割ってしまったのです。パキン。と音を立てて割れたお皿に驚いて後ずさると、割れたかけらが小さいナギリの足を傷つけます。
「いたっ」
その声を聞いたのでしょうか、台所へだれかが近づきます。
「どうしたの」
「あの、おさら、わっちゃって……ごめんなさ」
すべて言い切る前に、小さいナギリの頬に衝撃が走り、そのまま後ろへ倒れこみました。
「???」
小さいナギリが何が起こったのかわからず混乱していると、頬がひりひりと痛み始めました。おもいきり叩かれたのです。
「~~~~~ッ!」
倒れたままの小さいナギリ。その上からだれかが罵詈雑言をあびせかけます。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
「~~~~~!~~~!~~~~~ッ!」
罵詈雑言は続きます。だれかは声を荒げたことで興奮したのでしょう、小さいナギリを足でぐりぐりと踏みつけます。小さいナギリは胎児のように身体を丸めて、自分を守ろうとしますが、それはほとんど意味をなしませんでした。
しばらくして、足蹴にすることに飽きたのか、だれかは「片づけておけよ」と吐き捨ててその場を去りました。小さいナギリはじくじくと痛む身体を起こして、お皿のかけらを丁寧にひとつぶずつ拾い上げます。その表情は痛めつけられた直後とは思えないほど無機的でした。

……ッ」
思い出がよみがえり、大きいナギリの体が震えます。あの時の恐怖が一気に頭の中で暴れまわりました。
大丈夫、大丈夫、シンジはあの人じゃない。けれど、一度染みついた恐怖はなかなか落とすことができません。ナギリは、青白い顔をさらに青ざめさせて、しばらくその場で立ち尽くしていました。

何度か深呼吸をし、気を落ち着かせます。そうやって少し落ち着くと、原稿中の神在月のところへと行きました。

「おい、話が、ある……
ナギリはそう言って、神在月の傍に近寄ります。その顔は緊張していて、まだ顔が青ざめていました。とても重要だけど、言いづらいことを切り出す、といった表情に、神在月の顔が、一瞬曇ります。
(え、なんだろう、辻田さんがこんな神妙な顔つきで僕にいうことって……まさか、別れ話‥?ヤダーーーッ!俺、辻田さんと別れたくない!でも、それは本人の意思だから……とりあえず話を聞こう)
「ふぁ、ふぁい、なに?」
「あ、その……
ナギリはぎゅ、と手を握って身体をこわばらせます。あの時言われた罵詈雑言が脳裏にフラッシュバックして、目線を下に下がらせます。
「お前の皿、割った……
「安心した全然割って?」
「???」
下げていた目線を神在月に向けると、神在月はほっとしたように息を吐いていました。
「皿を割ったんだぞ。いいのか」
「全然いいよ~僕、ダメダメだから辻田さんに別れ話切り出されるかと思ってびっくりしちゃった」
「そうか……
身体の緊張が溶けていくのがわかります。冷たかった手に、血が通っていきました。
「それよりさ、怪我はない?お皿割っちゃったならあとで掃除機かけなきゃね」
まるで何ともないといった様子ではなしかける様子の神在月をみて、ナギリは目を細めます。
「ああ、そうだな……
そのあと二人でお皿を片付けました。今度代わりのお皿を買いに行く予定もたて、神在月はちょっとしたデートみたいだね、といいほおを緩ませます。
神在月家は今日も平和です。